すてきな箱庭

2年前に潰瘍性大腸炎を発症し、体調不良で退職・再就職を繰り返す。再発をきっかけに断薬を実践。自然治癒力を高める食事にチャレンジ中。現在、フリーター。目標は漫画と文章で稼いでいくこと。

フリーターの私がゴミのような職歴を振り返る

こんにちは、フリーターのゆかです!

今回は、自らの職歴(と言えるものではないけれど)を

振り返ってみようと思います。

長文になりますので、お時間がある方はお付き合い頂ければと思います(>_<)

 

 

 

 

職歴を書くとこんな感じ

 

2014年3月:某大学心理学科卒業

 

2015年1月:携帯ショップに契約社員として入社

2015年3月:一身上の都合により退社

 

2015年8月:不動産会社に入社

2015年9月:一身上の都合により退社

 

2016年1月:障害児を支援するNPO法人に入社

2016年3月:一身上の都合により退社

 

 

一番長くて3ヶ月…www

 

 まさに、ゴミキャリアです。

この職歴を見て、雇いたいと思う採用者はいないでしょう。

 

 

卒業後に就職しなかった理由

卒業をしてから、8ヶ月間の空白があります。

就職をしなかった理由は、2つあります。

 

大学院を目指すも、進路に迷う

大学入学時から、卒業後は大学院に進むことを目指していました。

大学院に進むためには、研究分野を絞り、受験をしなければいけません。

 

私が最も熱心に勉強したのは、ユング心理学でした。

 

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出典:名言・格言『カール・グスタフ・ユングさんの気になる言葉+英語』一覧リスト | iso.labo

 

スイスの心理学者。

人類が共通してもつイメージ”集合的無意識”を発見する。

日本では、河合隼雄によって、ユング心理学を基礎に”箱庭療法”が草案される。

 

しかし、この分野は、先行きが不透明でした。

科学性が重視される時代。

それは心理学の世界でも同様。

非科学的な現象を取り扱うユング心理学は、マイナーで、

よく批難されていました。

私も「ユングが好き」というだけで、

めちゃめちゃのぼこぼこにされることもありました(泣)

 

数字を大事にすれば、

国とつながり、お金の流れを作ります。

また、世の中の基準として、科学は必要なものです。

 

目に見える結果も、生きていく上では意味がある。

そのような考えも、受け入れたほうが良いのかもしれないと感じ、

科学的な行動分析という分野の勉強を始めました。

これが、楽しかった。

自分の行動をコントロールし、目に見える結果を出せるのは嬉しい。

しかし、研究するほど没頭できるかというと、疑問でした。

 

奨学金の返済、という現実問題があった私は、

ユング心理学はお金にならない」という疑念を払拭できませんでした。

 

そんなん、自分の好きなことやりゃいいじゃない!

と考えられたらよかったのですが…

そこまでの覚悟はありませんでした。

 

この時点で、卒業まで数ヶ月、という時期でした。

第一志望は受けたものの、不合格。

かといって、上記の理由から浪人の道は考えられず…。

 

そして、働きたいというよりも、

「勉強したい」という気持ちが勝っていました。

 

スクールカウンセラーを目指していた私は、

「子どもと関わる仕事」をするのが、長年のテーマでした。

 この原点に立って、これからすべきことを考えました。

 

 

 教員免許を取りたい

特別なアテがない限り、

スクールカウンセラーは大学院を出ないとなれません。

「じゃあ、教員として子どもと関わろう」

と考え、通信制の大学に入学します。

私は留学をしたり、母親が英語教員だったこともあり、

思い入れが深かった英語を専門科目にしました。

 

そして、教える技術を強化するために、

英会話の塾でアルバイトを始めるのですが、

 ストレスによる偏食がきっかけで、

潰瘍性大腸炎を発病してしまいます。

 

 

卒業後にやった仕事について

発病のきっかけ『英会話の塾講師(アルバイト)』

英語を教える技術を磨くため、

英会話の塾でバイトを始めます。

 

ここの室長はとても厳しいツッコミを入れてくる人でした。

「この履歴書の字、適当に書いていて、真剣さが伝わってこないね」

「心理学なんてやってたの? あんなの儲からないでしょ?」などなど。

ひるんでしまいましたが、英会話がそれなりにできたのと、

出身大学が同じ(?)という理由で採用されます。

 

しかし、最初からハードでした。

1週間の研修期間があったのですが、1日ごとに研修場所が異なり、

ほとんどが自宅から2時間以上かかりました。

まだ経験を積んでもいないのに「そんなレベルの低いレッスンで親から金取れるの?」と追い込まれ、

大量の課題を1日でやれと言われ、

同じ教室に配属になったスタッフと比較され、劣っていると厳しくしかられるなど、

正社員並みの力量を問われている感じがありました。

「これ、アルバイトだよね?」と他のスタッフと確認し合うほどでした。

 

配属された教室も、通勤に2時間以上かかり、

3時間と言われた勤務は8時間に及び、

空いている日はすべてシフトを入れられました。

 

たぶん私は、今まで生きてきた中で、

最も社会的ストレスを感じた時期だったと思います。

溜まったストレスを解消するために、偏食に走りました。

パンケーキ、フライドポテト、チョコケーキ、ジャンクフード…。

これが1ヶ月ほど続き、

とうとう潰瘍性大腸炎を発病してしまいます。

 

「もうちょっとでレポートの単位とって、教育実習だ!」

と意気込んでいたところでした。

まさか自分が病気になるなんて、思ってもみなかったので、

これから先が真っ暗になりました。

 

塾の仕事は辞め、

教員免許取得への意欲は低下し、

身体を回復させることを優先させようと、通信制大学は退学しました。

 

3ヶ月で辞めた『携帯ショップ店員』

病気になりましたが、少しずつ回復していくことができ、

身体を慣れさせようと、短期のアルバイトを始めます。

それが、携帯ショップ店員でした。

 

アルバイト編〜キャンペーンガールとして〜

携帯ショップのキャンペーンガールの仕事は、

店頭に立ってお客様をご案内したり、

マイクでお得な情報を話すと言ったことが主な業務です。

 

様々なタイプのお客様を対応し、

色々な場所に行くこと、

コスプレができる(笑)ことに喜びを感じ、

とても楽しく働くことができました。

1日8時間立ち仕事をしても、

身体は耐えられるほど元気になっていきました。

 

しかし、雇用主の方が、

異様にヒステリックな側面がありました。

そのせいで周りは辞めてしまい社員が雇用主1人になるほどで…。

私も、理不尽なことで責められることが嫌になり、バイトを辞めます。

 

 

契約社員編〜3ヶ月間で10回泣く〜

携帯ショップの短期バイトは辞めましたが、

この仕事はフルタイムでも続けられるのでは?と感じました。

そして、他の会社で、契約社員として就職します。

 

「お金を貯めたい」という気持ちが強くありました。

お金を貯めて、

もう一度大学院なり教員を目指すなりすれば良いではないか、

自分の好きな道を歩もう、と考えていました。

周りの人たちを見て、自分も働かないと

と焦る気持ちももちろんありました。

 

この時の、派遣会社の人には、本当にお世話になりました。

私より1つ年上なだけなのに、プロ意識が高く、

「人情」を大切にしている方でした。

親身になって、私を就職できるようにサポートしてくれました。

感謝の気持ちを持ちながら、晴れて採用され、

社会人としてスタートを切ることができました。

 

 

しかし、1ヶ月ほどで雲行きが怪しくなります(T_T)泣

 

携帯の知識が増えるのは楽しく、

スタッフは個性的で、嫌な人はおらず、

数週間は普通に働けました 。

 

↓そのころの私。目つきが悪い。

 

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たった3ヶ月で辞めることになったのですが、

きっかけはあったものの、一番の原因は自分だと思います。

 

きっかけになった大きな出来事は、

同じ社員が重大ミスを繰り返して、社内の空気が一気に悪くなったことです。

個人情報漏洩は絶対防ぐべきミスなのですが、

同じ社員が1ヶ月のうちに3回も犯してしまう事態が起きました。

(その社員は消息不明になりました…)

当然、険悪ムードが漂います。

 

会社の対応にも、不満がありました。

上司にも意見しましたが、そういうもんだよと言われ、

カーッと頭に血がのぼりました。

上からの圧力で会社の存続が危機だというのに、

スタッフには不明瞭な対策しか伝えず責め続けるのは、

どうなのよ!? 会社ってそういうもんなの??

という気持ちが常に頭の中をぐるぐるしていました。

なんかこう、会社というものへの拒否感が募っていきました。

 

他にも、心がズタズタになるまで説教する女性の上司や、

中国人客の激しいクレームの嵐(職場が池袋だったので中国系の方がたくさんいました)など、

きっかけはありましたが、冒頭に書いたように、

自分の問題があったなと。

 

自分に完璧さを求めすぎた

のが原因であると考えます。

実は、3ヶ月で10回以上、職場で泣いています。

なかなか恥ずかしい社会人です。

ミスをすると「どうして自分はできないのか」と責める気持ちで泣くことが多かったように思います。

 

でも…やっぱり会社も嫌いでした(笑)

肌に合わない感じがありました。

そういったことがあり、3ヶ月で携帯ショップを辞めます。

 

それから次の職に就くまでは、混沌とした時期になります。

上手く表現できないのですが、

自分の中から湧き上がってくる巨大なパワーを抑えることができず、

自分自身をコントロールできなくなった状態

になりました。

そして不思議な縁によって、意義深いことが多数起こりました。

随分と妄想チックですね。

毎日外に出かけて、家に帰らない日も多くあり、

周囲からは躁状態の人と思われていたはずです。

しかし、こんな状態の中でも、週に1回は就活セミナーに通ったり、

キャリアカウンセリングを行うなど、

次の仕事を見つける努力はしていました。

 

なぜ選んだ『不動産営業』

当時は、それなりの考えがあったのです(あったと思う)。

不動産って、いかにも「金を儲ける」ってイメージがあって、

自分が今まで取り組んだことのない仕事をしてみたかったんです。

混沌とした時期にいたので、ぶっ飛んだ考えをしていたこともありました(笑)

 

なにより、焦ってました。

空白期間をこれ以上長くしたくなかった。

 

不動産営業の仕事は、

大学のキャリアカウンセラーの方のツテがあったのです。

「明るいし、向上心もあるから、向いてるよ」とその気にさせられて、

運転免許を取得しに、新潟まで行きました。

車使うからね。

 

↓空気がおいしく、空が広かった新潟

 

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この免許合宿で、一気に体調が崩れます。

採用されるも、体調不良が原因で3週間で辞めます。ド短期…。

病気持ちの上、万全じゃないのに、

こんな仕事を選んだのは、本当にどうかしていました。

 

ちなみに、ここの会社は2015年に入って、5名の社員が辞めたそうです。

私は6人目か…。

と思いきや、私の退社後に入社した社員も、すぐに辞めます。

なぜ、そんなことを知ってるかというと、

この社員、今年初めに芸能人のプライベートなことをSNSに投稿し、

ニュースで話題になったんです。

これ、最近知って驚きました…辞めてよかったかな…

 

 

つなぎとしての仕事『本屋の店員(アルバイト)』

不動産の仕事でひどい体調不良に襲われましたが、

2週間でなんとか外出できる状態になり、

次の仕事を見るけるためのつなぎとして、

すぐにアルバイトを探し始めました。

タウンワーク求人をあさっていると、

4駅先に大型本屋のアルバイト求人を発見。

本好きな私は「これだ!!」と直感し、

即応募→面接→採用となりました。

 

1日6時間、週4で働きました。

本に囲まれて働くのは心地よく、

話題の本などタイムリーな情報が入るもの、すごく嬉しかった。

また、芸能人が多く来店することでも有名で、

常にわくわくしていました(働いている間は、会いませんでしたが)。

 

しかし、この時の私は、口数が少なく暗かった。

病気の影響もあるけど、

退職した挫折感やちょっとした人間関係の問題があったせいか、

人と接するのを極力避けていました。

本屋を選んだのも、その理由でしょうね。

これまでに培ってきた明るさやサービス精神は発揮されず…。

大学1年のメンバーからきつい目線で「しっかりしてくださいよ」と言われたり、

「あの人って暗いし、飲み会とか来なさそう」という会話を影で耳にしたり、

昼食はこそこそ一人で食べたりと、

学生のころの、暗黒ぼっち時代を再体験したような感じでした(苦笑)

 

 

↓暗黒ぼっち時代の私。心を閉ざし、人間を嫌っていた。

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ですが、それでも自分なりに精一杯がんばっていることは、

誇りに思っていました。

2ヶ月が過ぎたころ、「自分に適切な仕事」について本を読み漁った結果、

「やっぱり好きなことを仕事にした方がいい!!」

という考えにたどり着き、子どもに関わる、心理系の仕事を探し始めました。

 

 

 

本命の仕事『発達障害を持つ子供の支援』

ここでやっと、本命の仕事にたどり着きます。

心理学を生かせる、発達障害児の支援をする仕事です。

ハローワークで「心理学 子ども」と検索すると、

近くに、いくつか当てはなる職場があることが判明。

 

2社に絞り、すぐにハローワークに行き連絡を入れた結果、

1社からは即面接をしたいと言われ、3日後に本社に向かいました。

人手不足だから、と言われてその場で採用となりました。

履歴書を書いた時間を入れると、採用まで1週間…早かった。

 

正社員として働くには、中途半端な期間だったため、

その月はアルバイトとして働き、翌月から正社員として働くことになりました。

自分の心理学で培った知識を生かし、子供たちの役に立てることが、

本当に喜びでした。

また、偶然知り合いの人がいてくれたことも、心の大きな支えとなってくれました。

 

会社の体制に疑問、できない上司は責任を放棄、そして再発

とは言っても、会社で問題はつきものである上、

障害がある子どもの対応は、かなり難しいのです。

ベテランのスタッフが不足、スタッフがすぐ辞める、

スタッフの教育体制が整っていない、

それぞれの子どもへの対応を適切に行えないなど、

長年経験のあるスタッフからみても、おかしいと感じる問題が出てきました。

 

そして、経験のない上司と2人で、1つの施設を運営することになり、

プレッシャーがかかる状態の中、病気が再発してしまいました。

なぜ、経験のない上司が施設長になったのかは、スタッフ全員の疑問であり謎でした(苦笑)

適当にアルバイトをしていても、この業界での経験が長ければ、資格が取れちゃうんですね。

上司は、子どものことは私に任せっきりで、ずっと事務の仕事をしていました。

現場の経験がない私に、ちょっと目を離したすきに危険な事態になってしまう子どもの責任を負うのは、かなりのプレッシャーでした。

 

そんな中、上の人に切実に相談したところ、

配属先を変えてもらえることになりました。

あまりにも私の上司に問題があるからとのことでした。

ところが、安心しきったのか、今まで抑えていたものを吐き出すように、

病気が再発し、退職の道を余儀なくされました(-_-)

 

 

もう職歴はあてにならない(涙)

病気の再発により不安でいっぱいになっていたころ、

前回の記事 に書いた通り、断薬による食事療法で、

少しずつ希望が見えてきます。

 

しかし、もう職歴はあてになりません(泣)

ここまで落ちると、少しだけ、開き直って生きることができるのではないでしょうか。 

 

職歴なんて関係なくできる仕事を見つければいいのではないか

という考えでいます。

これからやりたいことについては、また別の記事で書きたいと思います。

 

 

しかし、長い記事でした(汗)

自分を物語るということの重要性を実感できました。

 

 

読んでくださった方がいれば、大変嬉しいです。

ありがとうございました。

 

 

ゆか